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義僧 憲盛法印

 kenseihouin当山先師憲盛法印は、僧名を智専と云い真野町に生まれる。十七才の時、修行の為京都に上り勉学に励み学成り、当寺の住職となる。
 今を去る事二百五+年前の明和三年。佐渡では農作物の大凶作に見舞われ、重税に苦しむ国仲五十三カ村の農民は、年貢米の軽減を時の代官所へ願い出るも聴きいれられず。此の時、智専は途方に暮れる農民の窮状を見るに偲びず、この請願を一身に引受け、奉行所へ直訴の決心をしたのであるが、その頃早くも役人の知るところとなり、一部同志と共に捕縛の身となる。
 獄中三年拷問を受けながら、常にお釈迦様の救世捨身を信条として一切の責は愚僧にありと、同志農民を庇いとうし、遂に明和七年三月二十一日斬首の刑を受けたのであるが刑場にあっても智専は泰然自若として、般若心経を朗誦したと伝えられ、この大慈悲心によって悪政ことごとく改まり、同志農民の延納も、共に許されたのである。
 智専没後、憲盛法印と贈り名され、佐渡国仲五十三カ村の村ごとに石碑を打ち建て永くその仏徳を讃え、今なお、信仰が絶えません。

永代供養長谷霊苑


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桜ケ丘墓地及び義僧憲盛法印大供養塔に隣接したところで、真向かいには長谷観音堂や長谷寺周辺が一望でき景観の素晴らしい台地に永代供養墓地『長谷霊苑』を造営し、宗旨を問わず募集しております。

水子供養墓

動物供養墓

水子供養墓 動物供養墓
水子供養墓を建立いたしました。宗旨を問わず募集しておりますので、詳細はお問い合わせください。 動物供養墓を建立いたしました。詳細はお問い合わせください。
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